追憶のキュー

『信じるということ』


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辿り着いたそこは、少女の求める場所ではなかった。
あまり期待はしていなかったものの、手掛かりくらいは欲しいと思っていた。
が、それも空振りだった。
少女の目の前には、机。
金属製らしいその机は、机というには今までに見たことのないほど大きな物だったが、分厚い本が
無造作に積まれ、何かの図面や小難しい用語らしき言葉の踊る紙で散らかり放題に散らかっていて、
天板は全くと言っていいほど見えなかった。

「キューと申します」

机から溢れた諸々を踏んでいる椅子に座っているのが落ち着かないのか、そう名乗りながらも少女
は床へちらちらと目を遣り、足は僅かに浮かせている。

「キュー? 妙な名前だ」

紹介を受けた男はそう言って、少女――キューにグラスを差し出した。

ありがとうございます、とキューは水垢の落ちきっていないそれを受け取ると、注がれた不思議な
色の液体を一口含み、確かめるようにしてゆっくりと飲み下した。

「おいしいです」

「おいしい?」

男は怪訝そうな表情ですっかり草臥れたパイプ椅子を引き、キューの机を挟んだ対面に腰を下ろした。

「喉がすっきりする感じがします」

男との距離は思ったより遠く、キューは椅子の軋みに負けないよう気持ち声量を上げた。

「ナノマシンを飲んでおいしいと言われるのも、妙な感じだな。……ああ、気にしなくていい。
置いてくれて構わんよ」

グラスを置こうとして躊躇ったキューの僅かな動きを目聡く見て取った男の言葉に、彼女はグラスを置き、
浮かせていた足も床へと下ろした。

「……しかし、驚いたよ。世界は広い。君のようなものを造れる人間がいるとはな」

「よく言われます」

「だろうな。機械人形だと知らなければ、どう見ても人間だよ」

男はキューをしげしげと眺めた。
肩にかかる、青い艶を持つ黒髪。金に縁取られた眸。白い肌に継ぎ目などは見えず、淡い桃色の唇は
流暢に言葉を紡いでいる。細い指の僅かな動きまでが滑らかで、そこにぎこちなさは微塵もない。
十代半ばほどの少女の姿をしているが、涼やかなアルトの声音や立ち居振る舞いは、接する者に大人びた
印象を与えた。
その精巧さは、キューを見て即座に彼女を機械人形だと言い当てた人間は今までに一人もいない、と
言えば十分だろう。

「食事も皆さんと同じように出来ますし、睡眠もとりますから、なかなか信じて貰えません」

「実は俺も、君がそれを飲むまでは信じていなかった」

「おいしいですよ」

言いながら、キューがグラスを男に差し出す。

「遠慮しておく……。冗談も言えるというアピールだと受け取っておくよ」

「残念です」

「気に入ったのなら、よかったよ。遠慮せずに飲んでくれ。そのくらいしか、俺にしてやれることはないが……」

「いえ、ありがたいです。こんな機会はあまりありませんから」

「……ところで、当てはあるのか」

キューの持つグラスを眺めながら、男はそう尋ねた。

「全く。手掛かりどころか、求める場所が本当にあるのかさえ」

 

 


その、少し前。
全体的に丸いフォルムの、一人乗りの電気ミニカー。キューはそのハンドルを握っていた。

「この辺りに……」

機械人形の研究をしているという人間がいるという情報を得て、キューはやってきたのだ。

「あれかな?」

大きな都市を少し外れた所に、その場所はあった。
一人で研究活動をしていると聞いていたが、そこはキューが想像していたよりも大きな建物だった。裕福な
人間が道楽で建てた別荘、といった、そんな印象。

キューは車を路肩に寄せて停める。エンジンスイッチを切り、シートベルトを外すと、シートから腰に繋がった
電力供給コネクタも同時に外れた。
キューと距離が数メートル離れるとかかるドアロックの音を背後に聞きながら、キューは数段しかない建物の
階段を上がると、中の様子を窺いながら、門戸の脇にある呼び鈴を鳴らした。

しばらく、反応のない時間が続いた。
自分の持つこの容姿で警戒されることは殆どないと、キューは経験に学んでいた。留守なのか、或いは相当
に用心深い人物なのか。考えながら、キューは待った。

もう一度鳴らして、それでも反応がなければ無断で入るのも止むを得ないとキューが呼び鈴に手を伸ばした、
ちょうどその時、

「誰だ、君は」

扉が開かれた。

 


「機械人形の研究をされていると伺って、お話をさせて頂きたいと思い、参りました」

それだけ言うと、訝しんでいた男の顔色が変わった。
車を空っぽのガレージに止めさせて貰い、キューは男に招き入れられた。

「まあ、適当にそこら辺に座ってくれ」

通された部屋は、研究室のようだった。
大きな机と散乱した資料。錆のあるパイプ椅子に遠慮がちに腰掛けながら、キューは辺りを見回した。
窓もない部屋は薄暗く、出入口は見たところ今入ってきた扉だけだった。

「突然押しかけて申し訳ありません」

「来客なんぞ滅多にないからな。借金の取り立てでも来たのかと思ったよ」

「わたしがそうでないという確証は?」

「君が一人だった。それだけだよ」

「なるほど」

「女の子が一人でこんな場所まで来て、機械人形について何を訊きたいんだ」

「その話なのですが、始めに事情の説明を兼ねて、誤解を解いておきたいと思います」

「誤解?」

「わたしは、機械人形です」

背を向けていた男の動きが止まる。

「もしかしたら、借金の取り立ても出来るかもしれません」

「……で、実際の所は?」

「可不可は別として、あなたが借金をしているのか否かも存じません」

「なら……いいさ。で、事情というのは」

「わたしは、わたしを造った人を探しているのです。あなたが機械人形について研究されていると聞いて、もしかして、と」

「手掛かりが得られるのではと踏んだわけだ」

「そうです」

「そうか……名前は?」

「キューと申します」

「キュー? 妙な名前だ」

男がキューにグラスを差し出す。

「ありがとうございます……おいしいです」

「おいしい?」

キューの対面に腰を下ろした男は、興味深いといった顔でキューを眺めていた。

「喉がすっきりする感じがします」

「ナノマシンを飲んでおいしいと言われるのも、妙な感じだな。……ああ、気にしなくていい。
置いてくれて構わんよ」

機械を洗浄する機能を持った液状のナノマシンだと、男は説明した。機械人形を研究する過程で作ったものだとも。

「……しかし、驚いたよ。世界は広い。君のようなものを造れる人間がいるとはな」

「よく言われます」

「だろうな。機械人形だと知らなければ、どう見ても人間だよ」

「食事も皆さんと同じように出来ますし、睡眠もとりますから、なかなか信じて貰えません」

「実は俺も、君がそれを飲むまでは信じていなかった」

キューが機械人形であることを、ということだろうが、それはキューも同じだった。このナノマシンが、人間で言う所の
毒である可能性があったからだ。どうやら、男はキューをどうにかしようという気はないらしかった。

「おいしいですよ」

キューがグラスを男に差し出すと、男は呆れたように笑いながら首を振った。

「遠慮しておく……。冗談も言えるというアピールだと受け取っておくよ」

「残念です」

「気に入ったのなら、よかったよ。遠慮せずに飲んでくれ。そのくらいしか、俺にしてやれることはないが……」

「いえ、ありがたいです。こんな機会はあまりありませんから」

キューは今までにもいろんな人物と会ってきたが、ここまでの技術を持つ人間と会えることは少なかった。
しかし、男の発言から察するに、彼は有力な情報を持っていない。もちろん、男がキューを造ったということはあり得ない。
それからしばらく、解っている範囲で男に創造主のことを話したが、やはり彼はキューが求めている情報を知らなかった。

「……ところで、大まかにでも場所の見当はついているのか」

男が尋ねるのに、

「全く。手掛かりどころか、求める場所が本当にあるのかさえ」

キューは正直に答えた。

「だろうな。……俺は、自分こそが最初に人間と見違えるような機械人形を造ると、それが出来る人間だと、そう信じて
今までやってきたんだ。そう簡単に造られては堪らないし、少なくとも、今までに君のレベルで完成された機械人形を
見たことはなかったし、成し遂げたという話を聞いたこともなかった」

「そうですか」

「俺は、国から期待されていた。資金援助も、人材派遣も、俺の言う通りに出してくれた。順調だった。だが、何度
造ろうと、俺の人形は、人間には程遠かった」

男が、机の上の紙を払った。
天板の一部が硝子になっていた。その中には、機械人形らしいものが数体、瞳を閉じて横たわっていた。
どうやらキューが机だと思っていたものは、機械人形の試作品――失敗作を収めたケースだったようだ。

「期待は失望するためにあるというのがよく解ったよ。時が経つにつれて、人も、金も、力も、俺から離れていった。
見限ったんだ。それでも俺なら出来ると、借金まで作ってやってきたが……君を見て、何だかどうでもよくなったよ」

キューは男の言葉に、

「出来ますよ。信じているんでしょう? ご自分を」

楽観的な声音を作って、そう言った。

「信じていたよ。だがそれもついさっきまでのことだ」

「わたしも、創造主を探して今まで色んな方とお会いして来ましたが、その度に諦めてしまいそうになります。それでも
信じて探し続けています」

「君は、間違いなく誰かに造られた。会えるかどうかは解らなくとも、君を造った誰かが存在するか……すまんが、過去
に存在したことは確かだ」

「ええ」

男が気を遣うのに、キューはもちろんといった顔で相槌してみせた。

「だが俺が君のような機械人形を造れるかどうかは、何の確証もない」

「そうかもしれません」

キューの返事に、男は笑った。

「冷たいな。そこは嘘でももう少し俺を励ますところじゃないのか」

「ごめんなさい」

「冗談だよ。だが、俺も君を造った人間に会いたくなったよ。俺が造った人形は、良い手伝いにはなれても、良い話し相手
にはなれないからな」

「わたしが会うことが出来たら、ご連絡しますよ」

「それは、楽しみだ」

 


程なくして、キューは男の家を後にした。
最後に男は、先程のナノマシンが入ったボトルを車のトランクに乗るだけキューに持たせ、

「君の親御さんのことは解らないが、とりあえず次の行き先の案ならある」

そう言って、キューにメモ紙を渡した。

「ありがとうございます。色々と、助かります」

「何も出来なかったのを、土産で誤魔化しているだけさ」

「そんなことは」

「自分を誤魔化したんだ。気分の問題さ」

「そうですか。でも、本当にありがたいです」

「俺の方こそ、久しぶりに人と話せて気が晴れたよ」

「そう言って頂けると、押しかけた負い目も幾分和らぎます」

「お互い様だな。いい別れだ」

「そうですね……では失礼します」

「ああ、気をつけて」

キューはミニカーのエンジンをかけ、男に見送られながら彼の家を去った。

重かった。
車のアクセルも、彼女の後悔に押し潰された気分も。

とても、重かった。

後は、信じるしかなかった。
















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